引退ブログ#14 岡戸優太


皆さんこんにちは

抜群のワードセンスと底知れない元気で部を常に明るくしてくれていたMGの森下からバトンを引き継ぎました、背番号#14オールラウンダー 兼 主務の岡戸優太です。

このブログリレー、各部員の普段は聞けない正直な思いを垣間見ることができていいですね。
僕は感動的な文章とか書けないので、滅茶苦茶真面目に書かせて頂きます。

 

【はじめに】

【アイスホッケー部入部の理由】

僕とアイスホッケーの出会いは、FXのインチキ勧誘師のような人に声をかけられ始まりました。

初めはその胡散臭さから、半信半疑で話を聞いてましたが、いざ練習会に参加してみるとその氷上を走るスピード感や、パックを奪い合うために互いがぶつかり合う臨場感に、自身の20年間で味わったことのない衝撃的な魅力を感じると共に、自分から進んでもっとアイスホッケーについて知りたい、もっと練習したいと思うようになっていました。

(おっは◯たさん、疑ってすいませんでした。今では大変感謝しております。)

そうして、得点力のあるFWとしてこの部で活躍したいという目標を掲げ、入部を決意しました。

ここで今一度4年間を振り返ってみると、アイスホッケー部に入ってよかったと思える瞬間ばかりで、このブログで何を書こうかとても迷いましたが、

☆理想とはかけ離れた3年間(1~3年生)

をざっくりと説明してから、

最も印象深かった今年の出来事

☆歯に衣着せぬ言葉でぶつかってくる各部員との成長(4年生)

の2つについて書いていこうと思います。

 

☆理想とはかけ離れた3年間(1~3年生)

~1年夏~
コーチからDFを薦められるも、FWがやりたいと伝え、レギュラー選手になるためひたすらFWの練習をしました。

~1年秋(初ベンチ入り)~
そして早くも目標の第一歩であるベンチ入りを果たすのです。

そう、GKとして

てっきりFWだと思いましたよね。いや僕もです。
部の事情で代わりのGKが欲しいと先輩に言われ、背が高いからという理由で抜擢されました。

秋大会に平行して1年生大会が開催され優秀賞をもらいました。

~2年春大会~
今度はFWとして1試合だけ数分の出場チャンスが到来しました。
見事その一瞬の好機を逃さず得点することができました。(偉大なる湯浅氏のパスにより)

しかし、その後ベンチ入りはするものの試合に出場することはできませんでした。

 

☆歯に衣着せぬ言葉でぶつかってくる各部員との成長(4年生)

先輩方が引退し、自分達の代が先頭に立ち新体制ができました。
もちろんこの時には、いつものように練習ができて、春大会に出場し、秋大会には支えてくれた家族を始め、お世話になった人を呼び大勢の観客の前で毎年のように引退するんだと思っており、これからの活動に胸が高鳴っていました。

しかしそのわくわく感も束の間でした。

3月にはコロナウイルスが本格的に蔓延し始め、春大会どころか練習すら一切することができなくなり、とても大きなショックを受けました。

それに加え、練習で上手くいかないとその度にものすごい剣幕で指摘してくる後輩(T中)
正直苛立ったこともあり、なぜこんなに感情をむき出しにして言葉を発してくるのか理解できませんでした。でもそれ以上に感じたのは、3年間必死に練習してきたはずなのに、自身の実力のなさから言い返す言葉も出ない自分への悔しさでした。

また、それと共に、チームスポーツの難しさを4年目にして改めて感じました。というのも、小学生から7年間、僕は主に個人競技である陸上競技をしていたので、誰かと話し合いながらそれを練習に活かしていく経験がありませんでした。極論、自分の意思を誰かに伝えなくても自分と向き合うことで課題の殆どを解決できてしまうからです。

こんな思考では、もちろん上手くいくわけもないですよね。
自分でもそれは大いに理解していたつもりでした。
理解して、自分の意思を伝えようと意識していたのにも関わらず、プレーが上手く噛み合うことはありませんでした。

そんなときにあることがきっかけで変わりました。
それは事あるごとに部員をいじり倒している同期のITOからT中と同じように指摘されたときのことです。

同期であるため、彼が「この同期で、このチームで、何が何でも絶対に勝利を掴みたい」という気持ちを人一倍持ち、覚悟を持って練習に取り組んでいるというのは、痛いほど知っていました。
そうなんです「どうしてもこのチームで勝ちたいから味方も上手くなってほしい」その気持ちが強いからこそ、相手に本気で思いをぶつけるし、それに全力で応えてほしい。
T中もITOと同じ気持ちを持っていたことを知り、
2人のお陰でようやくチームとしての在り方を本当の意味で理解することができました。

それからというもの、思ったこと感じたことはすぐに仲間に伝え、仲間の期待に全力で応えようと練習に励んだことで、
仲間との気持ちの歯車がガッチリと噛み合うようになり、試合にどんどん出場しFWとして得点も大量に決め、入部当初の目標を達成することができました。

というのが王道ストーリーなんですけど、

自分不器用なもんで、結局フル出場できたのは最終戦のみ。
しかも、ポジションは慣れないDFとして(部の事情により)

でもですよ、不慣れだからといってできないなんていうのは理由にならないし、なんと言っても4年間の集大成。ここで弱気になっている暇なんてなく、仲間のために、佐瀬監督の初勝利のために、一つひとつのプレーに全力を注ぎました。

結果、最終戦は3-0で完封勝利。
各部員が絶対に勝利を掴みたいという気持ちが実った瞬間でした。

本当に最高でした。

 

【最後に】

端から見たら最後の年なのに、コロナウイルスの影響で練習も満足にできず、試合にもろくに出られなかった可哀想な代だと思われるかもしれません。
まあ確かにそうなんですけど、
4年間を振り返ってみると練習回数が圧倒的に少ないにも関わらず、今年が最も充実した年でした。

それはやはり「仲間と本音で正面から向き合い、どうしたら勝利を掴めるか」を最も考える時間が多く、直接会える時間が少ない分、寝ても覚めてもアイスホッケーのことを考えていたからかもしれません。

また、こうして後悔することなく引退を迎えることができたのは、家族を始め、監督やコーチ陣、先輩、友人など多くの人が支えて下さったお陰です。

最高の4年間を過ごさせていただき本当に感謝しております。

ありがとうございました。

#14 岡戸優太